パブリックリレーションズにおける情報の定義は、社長をボコることができるかに繋がる

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「情報」という言葉を調べてみると、[ある物事の事情についての知らせ]とか、[それを通して何らかの知識が得られるようなもの]というように書かれています。パブリックリレーションズについては、もっと泥臭く、「利益だと少しでも感じると『情報』になる」というほうが妥当でしょう。

では、利益とは何かというと、[ためになること]であり、それには対象となる人や組織が存在する、のは、誰がみてもわかることですね。

パブリックリレーションズにおいて、この「情報」と「利益」とは非常に難しいテーマであり、プラクティショナーたちは日々向かい合わなければいけない課題でもあります。

というのは、パブリックリレーションズは、異なるパブリックと相互に有益な関係を結ぶことを目的に活動するわけで、常に相手と自分の利益を測りながら関係を構築していく作業の連続だからです。自分たちの利益を優先しすぎれば相手に不利益を与えてしまう。逆に相手の利益を優先しすぎると、自分たちの利益が得られない。パブリックリレーションズは利害関係の調整が大前提になっており、このバランスを取れなければ精神的に追い詰められ、病んでしまいます。

改めて、利益の話にもどります。

わたしが言う利益とは、金銭的なもの以外に、ブランド価値や社会的価値、かかわるあらゆるものに対するそれぞれの存在に価値がある、と判断されたもの全般をさします。

企業という範ちゅうで利益を見ると金銭が圧倒的ですが、金銭を得るためには仕事に対する信用、ブランドに対する価値認定など、複数の価値認定がかかわっているものです。これを会社と社会とのつながりにまで広げると、金銭以外の価値認定(=利益)が広がりを見せていくのです。

広告やマーケティングにおいては、特定の商品やサービスにとって利益(とくに金銭)になることを考えればよいので、コミュニケーションの方向としては一方向であるのが妥当です。しかし、企業と社会や、社会と社会のつながりを考えなければならないパブリックリレーションズは、双方の利益を活かすことが前提になるので、企業など特定の集団の窓口として活動するプラクティショナーは、自者の利益を優先としながらも、ときに自者の不利益になることもしなければならない状況が発生する、と理解し、実行しなければならなくなります。

簡単に言えば、社長の要求が社会のためにならないと感じたら突っぱねられるかどうか、です。部長でも、社員でも、同じく突っぱねられるかです。逆に社会の利益が会社の利益になるけれど、会社の方向性とは真逆のことをしなければならない、というようなことを、社長にやらせることができるか、です。部長でも平社員でも関係ありません。いいと思った瞬間に社長に行動させることができるか、ということなのです。しかし、別の同僚と同じ社員根性を持っていると、こんな行動はおそろしくてできません。ここが、「病んでしまう」ポイントになります。

パブリックリレーションズにおいては、自者に不利益に見えても社会的にぜったいにいい、と思うことを、組織にいながら実行できるか、が、時に問われます。社長や組織の利益論、つまりは自分たちにだけ都合のいい情報、利益にばかり目を向けて活動していると、それはもうプロパガンダを行う部署になり下がります。そうならないためにプラクティショナーは利益を見定め、組織や団体というくくりにしばられず、それにのみしたがって行動をしなければなりません(これをパブリックリレーションズの中立性といいます)。

情報の定義は、プラクティショナーとして始めたときから、特殊性のようでしかし純粋な視点と立ち位置を自分のパブリックリレーションズを測るクオリティーとして作っていくことになります。

 

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